Facebook始めたら次の日には友達の友達も皆知ってた話
今までスマホに入っていただけで全く触っていなかったFacebookを始めた。
始めたら始めたで一日に何回も通知がくる。どこから知ったのかわからないが皆私がFacebookを始めたことを知っている。
皆が皆口を揃えて「生きてたんだ!」と言うのだが、死んだらそれはそれで連絡ぐらいはいくでしょうよ。
初日からクラスメートだった知り合いからたくさんの友達申請が届く。その友達の友達が知り合いかも?とFacebookの自分のページに表示される。
たしかに知り合いなのだ。
知り合いではあるのだ。同じクラスだったんだから。
だがしかし、友達ではないのだ。
私の友達の定義のなかに、“プライベートで会ったことがある”というものがある。
クラスメートの集まりに何かと理由をつけて行かない、そのあまりの出席率の低さから「幻のポケモン」「天然記念物」「つちのこ」などと呼ばれている事もあるほど私は飲み会などの行事に参加しないのだ。
そんな私が始めたFacebookに友達という言葉が当てはまるわけもなく。
知り合いは知り合いのままでいいのだ。
だが友達申請がくる。
ただクラスが一緒なだけ、職場が一緒だっただけ、それだけなのに申請がくる。
正直全然話したことがない人もいる。
相手のページを開いて見てみてもそこに添付されるプリクラのあまりの変貌に、結局誰だかなんの関係があった人なのか全くわからないままになっている。
そして友達申請を断って「こいつのことを友達だと思っていたのは自分だけだったのか」と思われるのもすごく気をつかうので断ることもできない。
友達申請、なんと恐ろしい罠よ。
高校時代の部活の顧問からも友達申請がきたが、学生時代の教師に向かって友達なんておこがましいこと甚だしい。
だがしかしそれを断ってみろ、あんなに色んなことを教わり学んだ師である人をぶったぎったことになる。
友達という表記をどうにかしてほしい。
あと部活の顧問やさまざまな方向の色んな知り合いからフォローされているせいで野暮なことが日記にかけなくなる。まるで監視だ。もう斎藤工ほんとにかっこいいから付き合いたいとかかけないと思うと後悔しか残らない。
人にみせて恥ずかしいことはするな、そう思うかもしれないが、みせても恥ずかしくない人間と、そうでない人間がいることを知ってもらいたい。
学生時代に行事かなにかで何回か話したことのある人間に今日のご飯はハンバーグですとかどうでもいいの境地すぎるし、それ以上に相手のそういった情報が私のページに表示されるのも正直うちは焼き魚でしたよという返事しかできない。
それこそイイネ!とスタンプを押すことしかできないのだ。
友達が友達の友達と一緒にいる写メとかも正直よくわからない。
となるとFacebookって結局何したらええのん?ってこと。
結局、友達の友達もみーんな友達一回しゃべったらもう皆仲間だよっていう友達スペースがものそい広い奴らが集うリアル出会い系サイトなのかなって結論に至ってる。
中学の同級生がみんなモデルみたいに可愛くなってるのには驚きすぎて天井が落ちてくることを切に願った。
Facebookやめようかなってもうはや挫折しかけてるわけだけど、消すのもまためんどくさくて。
自分ももう少し外に出てリア充して出直そう。そう思うしかなかったのであった。